早寝早起きダイアリー(余生)

子どものいない主婦の日常

ミモザと自分

ミモザの日を前に、昨日スーパーで買ったミモザの黄色い花がすでに何だかしょんぼりしている。あえて蕾が多い枝を選んだのは、じわじわとポンポンと膨らんで2週間くらい楽しめると踏んだからだった。なのに、すでにみんな固く下を向いている。水を吸ってないかも。ってここまで書いてミモザの水揚げを検索した。かなり乾燥に弱いらしい…。なるほどね。ほんわりが見れないかもしれない不安に襲われつつ、枝を削ってメネデールとフラワーフードを入れて、更に保湿のために浴室に置いてみた。復活してほしい。

今まで何でも写真を撮ってアップすることで言葉を尽くさなくても見たらわかる状況を作ってきた。ネット上で。けど、ここではなるべく言葉だけで伝えたい。言葉で表現することに徹したいのと、写真が下手っていうのもあるかも。いや単に面倒なのかも。

そういえば私は花や植物にそんなに多くの関心を抱かない人生だった。ほんの数ヶ月前まで=仕事を辞めるまでだ。たとえ桜が満開のシーズンであれ、下を向いて歩いていたから咲いているのに気づかない、気を払わなかったのだった。自然の「良さ」というものは知っている。しんどくなったときに助けられたこともある。でも、身近に取り入れることを拒んできた。苦手としてきたことの一つだった。うまく扱えず、枯らしてしまったりすることのショックや失望を避けるためだったように思う。もっと深く考えると植物に嫌われることを恐れていたとも言えるかも。実際、観葉植物らしきものを置いて枯らした経験もある(今思えば育て方を知らず水をやり過ぎていたと分かる。季節にもよるけど本来は週に1回くらいでいいのだ)。

今は、切り花よりも多くの植物たちに囲まれて暮らしている(3ヶ月ちょっと前から)。もう20鉢くらいあるのではないだろうか。部屋をジャングルにしたい。健康でいきいきとした緑のみずみずしい葉っぱに囲まれていたい。こんなことを考えるようになるなんて、それも自分で自分に驚いていることの一つだ。パン作りを熱心にやっていた時期くらい自分にそぐわないもののように感じる。自分というものの潜在意識、潜在能力みたいなものを見くびってきたなと思う。

だらしなく、部屋はゴチャゴチャ、安っぽい要らないものに溢れ、料理のレパートリーも少ない、何もかも中途半端で、感情に流され物事を決め、その場しのぎで、運とコミュニケーション能力だけで乗り切ってきたような、とても自分が尊敬できない(好きではない)部類の人間だった。今もその人間の中にいるのは確かだが、何か自分の中で本当になりたかった自分というのが芽生えてきた気がしている。仕事を辞めて心にゆとりができたから?人の世話ばかりする仕事から一転、自分のことばかり考える時間ができたから?本当に謎である。今はその、今更ながらだけど自己分析を進めて、本当にやりたいことだけやっていく人生にしたいとやっと思い始め、動き始めたところかもしれない。若いうちに気づけたらもっと良かったのだろうけど、気づかないで終わるより気づけたことは良かったと言えるはずだ。