今朝の嵐が過ぎ去って、午後にはギラギラと晴れ渡った。午後は気温が22℃にもなった。今朝、ジャーナルを書いて、その時決めた今日のタスクをこなしていく日。起きるのが遅かった(昨夜よく眠れなくて久しぶりに薬を飲んで何となく怠い)ので、やるべき事だけやろうと思った。やっぱり私は計画を立てるとそれを実行しなきゃと動くから、スロースタートの日こそ書き出した方が良いみたい。(それにしても気分に引きずられるけど、手は動かして)
16時。夕飯の支度。部屋の中が暑く、窓を開け放って、NHK(語学)ラジオを聴きながら進める。何かこの風、春の空気、匂い、光の加減!と思う。懐かしいのだった。なんだろう。よく分からない。自分が過去に経験したことがあったのか、誰かの日記のことなのか、映画だったか、本なのか、子供の頃の記憶か、はたまた前世の記憶?分からないけど、今初めてではなくて感じたこと、受け取ったこと、想像したことのあるような、とにかく空気、なんだ。
この空気の内容を細かく表現する言葉は無い。ただ懐かしい。もしくは、それ単体ではなく、何かと何かの記憶が混ざって存在しているのかも。たまに訪れるこの感覚の時私は、「純粋」の中にいる。自分の中で「純粋」というのは、もう手に入れることが出来なくて、絶対的な「善」として存在しているもの。ただそれによって勝手に傷ついてきた気もする。それでも記憶の奥に大切にしまってあるもの。いつでもそこにアクセスできるわけではない。さっきのように、風と風が運んでくる匂い、季節、光の加減、自分がしていること、精神状態、様々な条件が重なって始めて気づくことが、感じることができるもの。でも実体はない。理解も不能。久しぶりにこの感覚が来て、ああー言葉にはならないけれど、ここに残しておこうと思ってただ書き連ねている。
いつも思う、何年も経ってからこの瞬間のことを、懐かしく思い出すだろうなという感じとリンクする。気分が良い。昨日何となく心がザワついて眠るのもつらかったけど、今は穏やかな心持ち。こうやって癒えていくし、焦っても解決はしない。ゆっくりと、ただ自分を大事に、丁寧に、進もうと思う。今まで生き急ぎ過ぎたんだ。文句を言い過ぎたんだ。正義感や、あるいは逆の方向でも、主張が強すぎたんだ。
今日は食薬レシピの中から鶏肉とピーマンの炊き込みご飯、きんぴら蓮根、バジルとオレンジのサラダを作っている。じわじわと効いて、どんどん健康になる、そうイメージしながら楽しんで作って食べる日々。心も体もこの年、この時期に来るまで本当に大変な思いだったと思う。もう楽していいさと思ってる。戦いは終わり、余生。そんな感じ。